愛の形

よく「恋と愛の違い」という言葉を耳にする。
ということで、「愛」に関係する字を辞書で引いたぞ。
まず「愛」。「異性を恋い慕うこと」・・・愛欲、愛慕、求愛など。
そして「恋」。「異性を思い慕うこと」・・・恋情、恋慕、失恋など。
実はほとんど同じなのである。
しかし、「愛」「恋」にそれぞれ「する」を付けてみると・・・・
「愛する」
(1)異性に対して心を引かれ、思いを寄せる
(2)愛情を注ぐ。大切にする。かわいがる。「我が子を愛する」「祖国を愛する」
(3)価値を認め、その存在を好む「モーツァルトを愛する」
それに対し「恋する」
(1)恋慕の情を寄せる。慕う。「恋する乙女」
この通り、「恋する」の方が「愛する」より限定的であることが分かる。
そこで「恋」に「しい」を付けて「恋しい」とすると・・・
(1)異性に心を引かれる。「恋しい人」・・・「恋する」の形容詞版といえる。
(2)離れている人・物・場所などをこいねがう。切ないほどに心が引かれる。「ふるさとが恋しい」「死んだ母が恋しい」
と、「恋愛」感情のみに使わない言葉であることが分かる。
と同時に、「愛」と比べて「手の届かないさま」が見て取れる。
その例として「祖国を愛する」「祖国が恋しい」の違いを比べてみよう。
祖国にいながら祖国を愛することは出来るが、「恋しい」と思うことは出来ないことが分かる。
ところで、「愛」の付く熟語について考えてみよう(「愛」は「恋」に比べて広義なのは先に述べたとおりだ)。
「あいつの愛称は〜」「ご愛顧いただき〜」「使い慣れた道具に愛着を感じる」「うどん愛好家」「愛煙家」「割愛する」などなど・・・
様々な愛の形が現れることが分かる。
人に対する場合も、「恋」より「愛」の方が広義だ。
「兄弟愛」「師弟愛」「家族愛」など。
これが「恋」に変わったらどう考えても禁断の世界だ。
また、「愛」にはいろいろな送りがなが付く。
「愛しい(いとしい)」「愛でる(めでる)」「愛おしい(いとおしい)」「愛しい(おしい)」
目下の者を誉めるのに使う「愛い(うい)奴じゃ」なんてのもある。
「愛しい(おしい)」は、「惜しい」と同義だが、さらに、
「かけがえのないものとして愛着を感じているさま。いとしい。かわいい。」という意味がある。
「愛おしい(いとおしい)」は、
古文で習った副詞「いと」(たいそう。極めて。ほんとうに。)に、「愛しい」をくっつけて
「いと愛しい」となったとする説がある。
また、「厭う(いとう)」という言葉が、「いとおしい」と変化したとする説もある。
(「厭う」という言葉は「好まないで避ける。いやがる。」という意味だが、かつては「いたわる、大事にする」という意味もあった。)
また、もう一つの「愛の形」として「慈」という漢字がある。
訓読みにすると「慈しむ(いつくしむ)」となり、「愛する。かわいがる。大切にする。」という意味がある。
ほぼ「愛」と同じようだが、熟語にすると、
「慈愛」「慈悲」「慈善」と、愛情を注ぐ対象が直接的になったような印象を受ける。
余談だが、「愛」も「恋」も、部首は「心」だ。
「恋」の「心」を別な物に入れ替えてみると・・・「変」だったり「蛮」だったりと、ろくな物にならない。
「恋の心」は大切だ。
「愛」に、いろいろな部首を付けてみると・・・
「曖昧」(はっきりしない様子。まぎらわしい。)
「噯(口へんに愛)気」(おくび、胃にたまったガス。げっぷのこと)
と、こちらもろくな物にならない。愛に余計な飾りはいらない。