愛の小径(再)

今日、ナタリー・シュトゥッツマンが歌うプーランクの歌曲集のCDを買ってきた。
これで、所持しているプーランクのCDは15枚になった。
プーランクの歌曲集を買うと、結構高い確率で"Le chemins de l'amour"というワルツが入っている。
1940年に作曲された、劇中音楽である。
非常に美しい曲で、聴くたびに胸を締め付けられる。まあ、プーランクの他の曲でも胸を締め付けられることは多いが。
この曲が入ったCDを3枚持っているが、それぞれ邦語タイトルが見事に違っている。
「愛の小径」「愛の小路」「愛の道」と、「愛の」が一緒だが、その後が違う。
「こみち」と「みち」の2種類があり、さらに「こみち」にも2種類の書き方がある。
どれが一番正しいんだ?
そこで、"chemin"を辞書で調べてみると・・・
「道(田舎の道、または一般に道を指す語)」とある。
なら、「愛の道」が正しいんじゃないか?と思えるが、ちょっと待った。
歌に出てくる「みち」を調べてみると・・・
「海辺へ続く道」「思い出の道」「崇高な愛の道」などなど・・・
「こみち」にふさわしい道ばかりだ。「こみち」という言葉に置き換えてしかるべき道ばかりだといえる。
ところで、「みち」を意味する漢字を漢和辞典で調べてみると・・・
「道」「路」「途」「径」「衢」「倫」と、ずいぶんある。
ここで、最初に示した3つの邦題に現れない「みち」を見てみると・・・・
「途」目的地に向かっていくその途中。物事の課程、手段。
「解決の途を探る」「帰途」「前途」のように用いる。「こみち」という言葉には使えなさそうだ。
「衢」広いよつつじ。四方に通じる大通り。ちまた。
「街衢」「通衢」のように用いる。いずれにしても「こみち」という感じの道ではない。
「倫」人として踏み行うべきみち、道理。
「倫をふみはずす」「倫理」のように用いる。こちらは"chemin"の意味から外れている。
では、邦題に使われている3つの「みち」はどうだろうか?
「路」人や車の通行するところ。太いみちをつなぐ横みち。
「径」みち、こみち。ちかみち。特に小さく細い道。
「道」道路。とおりみち。ほか、広く用いる(他の「みち」にもこの字を使うことがある)
と、いずれの字も"chemin"の意味に合っていることがわかる。
しかし、どうやら「こみち」の意味に最も近いのは、「径」の字だといえそうだ。
ところで、「径」の字をさらに詳しく見てみると・・・
音読み:ケイ
訓読み:みち、こみち
と、一文字で「こみち」と読むことが分かる。
では何故「愛の径」とせずに「愛の小径」としたのだろうか?
「愛の径」だと、「あいのみち」とも「あいのこみち」とも読むことが出来るので、
敢えて「小」を付けることで、「こみち」という読み方を与えると同時に、この歌にあらわれる道は「こみち」であるということを分かるようにしたのである。
また、「小路」とすると、「こうじ」「しょうろ」「しょうじ」とも読めてしまう(いずれも辞書に載っている)。
「小路(こうじ)」という言葉は、「小路(こみち)」の音便化によるものである。
また、「小道」や「小路」よりも「小径」の方が、「みち」という漢字自体に、「こみち」という意味が強く表れている。
従って、"Le chemins de l'amour"の邦語タイトルには、
「愛の小径」という漢字を使うことをおすすめしたい。